岩手県・奥州市黒石寺に伝わる旧正月の奇祭・蘇民祭が来年を以て1200年あまりの歴史に幕を閉じるというニュースは、首都圏でも大きく取り上げられた。
わたしも岩手県に都合10年暮らした人間。「黒石寺・蘇民祭」はその頃も毎年ポスターが掲示され、どういう祭なのか良くわからなかったのだけれど「あぁ、今年もその季節か」と感慨を持っていた。後にそのポスターが物議を醸すことにもなったが。
黒石寺の藤波住職は「祭の中心を担っている人の高齢化、将来的担い手不足」が要因で、旧正月の行事は継続しつつも蘇民祭という形は最後にすると決断、寺として、地域として、これからも薬師信仰をつないでゆくことにひたすら励みたいという。
過疎化の問題など今さら言うまでもないが、地方は確かに衰退の一途を辿っている。限界集落などと表現される場所も珍しくはなくなった。たまに里帰りしたり、昔住んだ街、馴染みある街を巡ったりすると、その衰退ぶりに目を疑う。繁華街の中心が実の欠けたトウモロコシのようにあちこち更地になり、道路だけが立派に何本も新しくなっていたりする。平成の大合併と謳われ、大きくなることは豊かになることと疑わなかったあの大事業が2010年に終了すると、瞬く間に過疎の波が新市街にも及んだ例を数多見た。旧町役場は暫くは支所となったが、事業終了後から続々閉鎖されている。
そういう中で、奥州市(岩手県では盛岡市、一関市に次いで第3位の人口規模)の寺の無形民族文化財たる祭の終了は、市民にとって「しょうがない、寂しいけど、それも時代の流れ」と受け止められているようだ(岩手朝日テレビ報道)。実際その通りだが、しょうがないで終わらせていいのだろうか、考え込む。
プロテスタント最大教派の東京教区北支区にとっても、実は抱えている現実は似ている。教会の『終活』がこれからのテーマだとある会合での話し。冗談のつもりではあったのだが…。
2023
10Dec